シドニーオリンピック直前!今まで追いかけてきた僕たちの五輪代表について「Road to Sydney」
ここ2年、僕らががむしゃらに追いかけ、信じ続けてきた「最強」のオリンピック代表。いよいよその集大成、シドニー五輪の幕が開けます。
9月14日の南アフリカ戦を皮切りに、スロバキア、そして王者ブラジル。4年前の「マイアミの奇跡」以上の興奮を期待しているのは、僕だけではないはずです。泣いても笑ってもあとわずか。五輪代表をあまり知らない人も、これを読んでテンションを高めてください!
1998年:始動、そして「赤鬼」トルシエの登場
すべては1998年4月、Jヴィレッジでの合宿から始まりました。中心は、前年のワールドユースでベスト8に入った世代。キャプテン宮本恒靖を筆頭に、「あの時の悔しさをシドニーで返す」という強い意志を持った集団でした。
同年10月、運命の出会いが訪れます。フィリップ・トルシエ監督の就任です。「能力はフル代表より五輪代表の方が上だ」と言い放ったフランスの赤鬼。その言葉に、僕らファンも密かな期待を抱きました。
11月のアルゼンチン戦、超満員の国立で放たれた中村俊輔の芸術的ループシュート。まだ「俊輔」が何者であるかを世界が知る前の一撃に、スタジアムが揺れたのを今でも覚えています。
1999年:世界2位の衝撃と「宿敵」打破
1999年4月、ナイジェリア・ワールドユース。日本サッカー界に激震が走りました。小野伸二、高原直泰、稲本潤一……さらに若い世代が世界2位に輝いたのです。
この「黄金の世代」が五輪代表に合流し、チームはさらなる高みへ。しかし、エース小野伸二の選手生命を脅かす大怪我という悲劇もありました。
そんな中、9月の韓国との壮行試合。40年間勝てなかった宿敵相手に、中田英寿が合流した日本は4-1と圧勝。ソウルでの第2戦も勝利し、40年の壁をあっさりと突き崩したチームは、無敵の状態で最終予選へと突入しました。
カザフスタンの夜、伝説のFK
10月26日、国立競技場でのカザフスタン戦。勝てば五輪決定というプレッシャーの中、日本は初めて先制を許す苦しい展開。しかし、ここからが最強集団の本領発揮でした。
平瀬智行の執念の同点弾、そして逆転。仕上げは、今や伝説となったあのシーンです。FKのチャンスに、中田英寿と中村俊輔が並び、言葉を交わす。
沸き起こる「ヒデコール」の中、俊輔の左足から放たれた虹のような放物線。あれこそが「Road to Sydney」を決定づける一撃でした。
2000年:サバイバルを勝ち抜いた18人
2000年に入ると、舞台はA代表へとシフトしていきます。五輪世代がA代表を飲み込み、柳沢敦や松田直樹たちが中心を担うようになりました。
そして8月、18人の精鋭が決定。オーバーエイジ枠の楢﨑正剛、森岡隆三、三浦淳宏を加え、まさに「最強」の名にふさわしい布陣が揃いました。
シドニー五輪 日本代表メンバー(2000年)
| ポジション | 氏名 | 所属(当時) |
| GK | 楢﨑 正剛(OA) / 都築 竜太 | 名古屋 / G大阪 |
| DF | 森岡 隆三(OA) / 宮本 恒靖 / 松田 直樹 / 中澤 佑二 / 中田 浩二 | 清水 / G大阪 / 横浜FM / V川崎 / 鹿島 |
| MF | 三浦 淳宏(OA) / 中田 英寿 / 明神 智和 / 中村 俊輔 / 本山 雅志 / 酒井 友之 / 稲本 潤一 / 西 紀寛 | 横浜FM / ローマ / 柏 / 横浜FM / 鹿島 / 市原 / G大阪 / 磐田 |
| FW | 平瀬 智行 / 柳沢 敦 / 高原 直泰 | 鹿島 / 鹿島 / 磐田 |
いざ、歴史を刻む舞台へ
明日のクウェート戦、そしてモロッコ戦。ヒデ、俊輔、宮本、稲本……このメンバーで、いったいどんな素晴らしい景色を見せてくれるのか。
いちサポーターとして、今から心が躍って止まりません。シドニーで、僕の大好きな選手たちが日本サッカーの新しい歴史を刻んでくれる。きっとやってくれるはずだ!!(やす)

